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大井町コミュニティキャンパスプロジェクトは、3月7日(月)20時から、多世代型シェアハウス研究会の第11回『ゆるトーク〜シェアハウス運営において大切なこと〜』を開催しました。主催は慶應義塾大学SFC研究所上席所員の福澤涼子です。ゲストに多世代型シェアハウス「ウェル洋光台」の管理人として長年、シェアハウス運営に携わっている戸谷浩隆さんと、シングルマザーを対象とした複数のシェアハウスを運営している「シングルズキッズ株式会社」の代表である山中 真奈さんをお招きして、そのコンセプトや実態、取り組みについてお話を伺いました。

勉強会概要
日時:2022年3月7日(月) 20:00~21:30
開催方法:オンライン(Zoom)
参加者:35名(うち19名が当勉強会の初参加の方々。20~60代まで幅広い年齢層が参加)
参加費用:無料
ゲスト:戸谷 浩隆さん(ウェル洋光台 大家)・山中 真奈さん(シングルズキッズ株式会社 代表取締役)
主催・モデレーター:福澤涼子/慶應義塾大学SFC研究所 上席所員

ウェル洋光台/戸谷 浩隆さんについて
ウェル洋光台は2006年開業のシェアハウスで、シェアハウスの中では老舗。戸谷さんは、元々、単身でこのシェアハウスに住人として入居。2009年にハウスでの出会いをきっかけに結婚、ウェルを卒業しましたが、数年後、オーナーより依頼を受けてボランティア管理人として妻子と共に再度入居。そこから、「パーマカルチャー」「多世代共生」をコンセプトにウェル洋光台のリニューアルを企画、再生に携わりました。(ウェル洋光台のHP

シングルズキッズ株式会社/山中 真奈さんについて
シングルズキッズ株式会社は、2015年に設立し、2017年よりシングルマザーとその子どもたちが暮らせるシェアハウスを世田谷区上用賀でスタート。現在では、上用賀だけではなく、桜丘と千葉県市川市にもそれぞれコンセプトが異なるシングルマザーシェアハウスを開設し、その運営にも携わっています(詳しくはこちら)。

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勉強会レポート
今回は、「ゆるトーク」と称して、3人でその場でトークを展開しました。トークテーマは「シェアハウスの運営において大切なこと」。その勉強会の内容をレポートします。

■運営者自身が、自分のありのままを受け入れということ
まず、山中さんのシングルマザーシェアハウスの運営における変遷や気づきをお伺いして行きました。

<山中さんの運営するシェアハウスの概要と変遷>

山中さん)私は東京都世田谷区で5年間、シングルマザーシェアハウスを経営していて、自分自身も住みながら、日々楽しくワイワイ過ごしています。サービス付きで、母子に平日の夜ご飯提供、保育園のお迎えも行っています。毎日18名くらいで食卓を囲んでいて、クリスマスやハロウィンのイベントをしたり、密に暮らしています。

私は、10代の時にギャルとして社会の底辺と言える世界を見たり、死にたいなという時期があって..という変わったキャリアの中、不動産業界を経て独立し、この事業を始めました。シングルマザーの「親」というよりも、「子どもたちを楽しくハッピーに」というテーマを掲げています。コロナもあって、住環境が楽しく幸せであることって、すごく大事だなと改めて思うようになりました。

うちのシェアハウスは、最初はルールはありませんでした。私も見ての通りこんな性格なので、契約だけ交わしてあとはその場のノリでみたいな。そうすると、勝手にMyルール作っちゃう人がいたり、決まっている方が楽な人がいたり、暗黙のパワーバランスが出来ちゃったり。会議というのも1回もしたことがないんですけど、なぜかと言うと、言えない人が出てしまう。相談してくれる人は良いけど、3ヶ月か半年かで爆発して退去してしまうケースもあります。

<運営者自身の気づきや変化>
山中さん)そんな中で、私自身も変化があったんです。やっぱりこの生活をしていると、良くも悪くもお母さん・子どもの状況をよく見るようになって、お母さんが子どもに厳しく言うけどお母さんだって出来ていないことがあったり、「お父さんにドンッてされたよ」とか、信頼してくれるようになると、色々な話を聞いてしまう。

そうなると、始めた当初の私は、「子どもの味方」になりすぎちゃったんですよね。それで、お母さんを責める姿勢になってしまう、いっぱいいっぱいのお母さんと喧嘩しちゃって、運営が大変で私自身も涙が止まらないとか、家で笑顔が作れないとかいろいろありました。

けど、それはそもそも自分自身の姿勢の問題だったんですよね。私の育った環境が機能不全で、自分が「愛着障害」があったと気が付いたことがあります。そのままの在り方だとダメだよ・フラットにしないと運営できないぞということを、神様がギフトとして与えてくれたようなものだと今は思っています。それくらいトラブルが多すぎて、辛くて、福祉やメンタル・聖書など幅広い勉強をするようになって、フラットな気持ちで運営することの大切さに気づいたと思います。

それで、戸谷さん(ウェル洋光台の管理人)の姿を見て思うのが、場についてのありのまま、心のありのまま、等身大を無理なく受け入れてくれる姿勢があるということ。戸谷さんがそういう存在だから、シェアハウスもそういう場所になるのかなぁ。等身大を無理なく受け入れる姿勢が伝播しているように思えるんです。

<「HOW TO」より「在り方」。「在り方」とは何か>

戸谷さん)大家として人として成長していくんですよね。僕もね、最初は仕組みとHOW TOから入った。なんだけど、自分の在り方が1番大事だなと言うことに気付き始めたんですよね。自分を押し込めるわけではない、表現するわけではない。心を整えるということにいく。それは、真奈さん(山中さん)と近いところがあるのかな。

福澤)それは相手が何かしてきたときに我慢することとも違うんですか?

戸谷さん)我慢というのでもない。我慢すれば利子がつくでしょ。それだとありのままとは違う。最初、ウェル洋光台の「ありのまま」は、多様性を受け入れるとかそういう言葉を理念として使っていたんですよ。

例えば、「怒り」という感情があるでしょう。その「怒り」というのは、「自分だったらこういうことはやらない、こうあるべきでない」という姿を、他人にみたときに湧くんですよ。そうすると、人を鏡にして、自分が自己否定してないことにしている自分の気持ちと向き合うということになる。「自分がやられたくないことを、人にやってはいけない」というけれど、「他の人にやってほしいことでも、自分はやりたくない」とか、「他の人にやってほしくないけど、自分はやりたいんだ」とか本当はそういう気持ちがあるでしょ?

その怒りを感じたりモヤッとしたときに、じゃあ「自分は何が嫌だったのかな?」「自分がこうなりたくない」というのは何なのか?自分に矢印を向けて、たとえば、「他の人にやって欲しくないことを自分がやってもいい」というように、自分の気持ちを受容していくことで、我慢するでもなく、ただ相手にそのまま表現するでもなく、心を整理していくことができるわけです。実際、みんなには簡単にできるけど、自分には簡単にできないことがある。だから、他の人たちにはやって欲しくないけれど、自分はやりたいことはあって当然だし、それをしても全然いいはずなんですよね。

福澤)確かにシェアハウス暮らしをしていると、モヤッとすることはたくさんありますもんね。そのときに自分に矢印を向けるということですね。それで心を整えると。

戸谷さん)けど、実は「ありのまま」というのは、他には勝手にバレているんですよ。それが水回りを共有する距離感ということです。ちょっとイラッとしたりとか、そういうのって周囲に伝わっていて、伝わっていないと思っているのは自分だけだったり。けど、それを隠している感じも含めて、受け入れて共に生活してくれてるわけでしょう。自分には簡単に出来ることが相手には簡単に出来ないことがある。それを受け入れることかなぁ。他の人たちにはやって欲しくないことを、やっている自分に気が付いて受容することで、他の人のことも受容していくことができる。

山中さん)子どもがいると、着替えとタオルを持って大荷物で風呂に入ることがあるんですが、たまに脱いだパンツの抜け殻が落ちていることがあって(笑)脱いだパンツを見せれる関係ってすごくないですか?片づけられていないものがあったときに、キーと怒る人はうまく続けられないと思うし、脱いだパンツを受け入れられる人がこういう暮らしにあっているのかな。

福澤)それで言えば、私も実際あります。脱いだパンツをそのままにしておいたら、洗濯機に入れておいてくれたことが。それは笑っちゃいましたね。戸谷さんの言う、他人にやって欲しくないけど、自分がしてしまうことに置き換えると、脱いだ衣類は勿論すぐに片付けないとダメなのに、相手にも出しっぱなしにしないでねと思うのに、子どものことで手一杯とか仕事が入ってしまったとかで、脱いだまま脱衣所に置いてしまって、そんな自分の弱さをまずは受け入れて、相手がそれを受け入れてくれたと気づくことが大事なのかもしれません。

山中さん)そう。その水回り共有の不便さはあるんですけど、それで起こるハプニングを楽しめる人、受け入れてコミュニケーションだって笑える人は向いていると思います。一方で、そう言うものを受け入れられずに、怒ってしまう人は向いていないかもしれないですね。爆発型みたいな?

福澤)けどそういう怒りタイプもいたのではないですか?

山中さん)はい、3ヶ月ほどで出て行っちゃうかな、そういう人は。

■運営者自身が、自分の境界線を知りNoと言えるようになること
他者と一緒に生活する以上は、受け入れられる部分と受け入れられない部分がどうしても出てきます。それを溜めてしまうと、結局爆発してしまいますので、時には運営者であってもNoと言うことが重要です。

<Noを受け入れ合う関係性>
戸谷さん)この辺も面白い話で。コミュニティの話をする時に、バウンダリーっていう概念がなかなかあまり知られていない概念だと思っていて。それぞれのキャパを受け入れて、「Noと言える」「Noを受け入れられる」ということですよね。限度があるから。無理することはないんですよね。

一方、場の力っていうのがあるんですよね。場の力っていうのは、例えば会社に行くと、会社員っぽくなったりね。そういう場の力っていうのは必ずあるんですよね。だから場の力がね、その人を癒して変容していくということもあるんですよね。だから、過去にはこういう人とは一緒に暮らせないと思っていたような人でも、場のキャパシティが育っていけば、受け入れられるようになっていくということはあるみたいですよね。

山中さん)私も、最初はNoの線引きにすごく迷っていて。最初は自分が決めてしまうことに自信が持てなくて。でもトラブルが起こるたびにその姿勢では解決にならない。同居していた管理人シニアのここさんにも「真奈ちゃんの家だから真奈ちゃんが決めていいんだよ」と言われて。Noを言う勇気を持ち始めたんですよね。それで戸谷さんと話していた時に、

「相手にNoをいう時には、相手のNoを認めることだよね。」って戸谷さんに言われて。
戸谷さん)「”Noを言われた相手”が大丈夫だと思う、つまり、自分にはキャパがなくても、この世界にはその人を受け入れて愛してくれる包容力があるはずだと思う」ということが一つ大事かな。それなしに、「相手は所詮他人だからNo」みたいな感じでNoを言うと自分の心を深く傷つけてしまう。それがわかっているからNoと言えないわけで。

山中さん)これってすごいですよね。

福澤)事前アンケートで、「ため込んでしまうシェアメイトがいますが、どうすれば良いか」という質問がありました。ため込んでしまうということは、つまり「Noを言えない」ということかと思うのですが、なぜため込んでしまうかというと、自分のNoを受け入れてもらえないんじゃないかと考えるからなんでしょうか。

戸谷さん)そう考えてしまうんでしょうね。人だから。多かれ少なかれね。

福澤)そうすると、Noと言えずにため込んでしまう人がそれを言うことが出来て、言われた側が受け入れると場というのは、どういう風に作っていけば良いんですか?

戸谷さん)ここで大事なのはNoを言い合える場を作りましょうと言うよりも、運営者の視点としてこの柔軟に「Noと言える」「Noを受け止められる」という態度を、バウンダリーという視点を育んでおくことなんですよね。入居者に求めるということではなくてね。自分の、そして、自分たちのあり方が育っていくと、それが場の力になっていく。

<自分のNoを知ること>
山中さん)自分の境界線がどこまでかと知れないと、Noと言うのは難しいんですよね。

福澤)この境界線を知るということが何より難しいですよね。自分は良い人でありたいということもあって、シェアメイトから自分が傷つけられたとしても、気にしちゃいけない、寛容でいないといけないと思って、それが寛容ではなく忍耐になってしまっていると思う時はあります。

山中さん)私が大事だと思うのは、その忍耐になってしまっているということを知ることなんですよね。あとは、「良い人でありたい」と思っていると客観的に知ることとか。冷静にまず、自分の状況や気持ちのカードがあったとして、それをテーブルに並べて見てみるんです。いろんなカードを上から見た時、自分に癒しが必要な場合が結構あるんですよね。私も、ママと喧嘩して怖くて涙が出たとか、お母さんにイラっとしちゃうとか、それを客観的に見た時に、まず癒されないといけないのは私じゃない?と気が付いたんですよね。もうこれ以上、傷つかないために。

<感情的な共感ではなく、認知的共感が大事>
山中さん)だから、まず絶対やった方が良いのは、自分の境界線の把握と、自分の傷の癒し。それができれば、自分と相手の課題がやっと切り分けられる。目の前で人が苦しんでいて、泣き叫んでいても、それはその人の課題であって自分の課題ではないと切り分けることが大事。正直関係ないまで考えられれば、むしろベスト。

私も以前は、子どもの虐待のニュースを観ると、怒りが湧いて、涙が出て、だからこの事業をやりたいというのがあったんですが、今はそういうニュースを見ていてもフラットになっているんですよね。すごく冷静。感情が引っ張られなくなった。ありのままの自分を否定はしてはいけない。良い人であろうとしている、ということを否定せずに客観的に見れば良いんです。

戸谷さん)僕も、最初はね、入居者と一緒に涙して・・・という時期があって、相手と一緒の感情になることが、それが愛だと思っていたし、そういう風に、ありたいと思っていたんですよね。ただね、徐々に、相手と同じ感情でいることが相手への正確な認知を阻害するってことがわかってきたんですよね。相手の中に自分の癒されない気持ちを見ちゃったりして、そこが引っ張られてしまうと、実際の相手は違ったりするんですよね。

感情的な共感ではなく、認知的共感っていうんですけど、相手を知り続けて、それで共感していくことが大事。その方が、より相手と共に在れるんですよね。

山中さん)そうそう。相手と共にありたいからこそ、自分がフラットになる。

■バウンダリーの健全な発達とは
<硬直したバウンダリーとも違う>
戸谷さん)バウンダリーっていうのも、自分と他人と線を引くというように誤解されるけど、「こういう人だったら、ハウスに入居できます」「こういう人だったら入居できません」と固定するのではなく、その時のハウスとその人の状況を踏まえ、その場で柔軟に設定できるというのが健全なバウンダリーなんです。相手の贈り物を受け取ることができること。自分がやる筋合いがなくても「Yes」と言えること。こういうのが健全なバウンダリーですね。

それと同時に、先ほどから言っている「相手のNoを受け入れる」、「相手にNoと言える」こと。この「Noと言える」のが、想いを持って運営している運営者からしたらしんどい話になるんですよね。相手にNoと言うことはね、自分の無力さを認めることになるから。場がまだ育ってないと認めることになるから。でも育っていないけど美しい。その未熟さにYesと言えて、”Noと言われた相手”も大丈夫だと思えること。それには、世界が愛に満ちた場所だなと思えるとNoと言えるという話がある。

そうじゃなくて、”Noと言われた相手”は大丈夫と思えないけど、自分たちの方が大事だからと言う感じで、無理にNoと言うと、自分の心を深く傷つけてしまう。共に暮らすってそんな距離感じゃなくて、だからこそ、Noと言えずみんな悩むわけで。

福澤)今日はシェアハウスの運営者のかたや、運営希望の方も多いと思うのですが、全ての利用者の声を拾おうとすると、自分が傷ついてしまったり、利用されてしまうこともある。だからこそ、まずはNoと言うことも大事。そしてNoを言う自分を受け入れることが大事なのですね。

戸谷さん)そうそう。出来ないことは、出来ない。

福澤)なるほど。ただ、その境界線が引かれすぎている状態が現代社会だと思うんです。隣人の顔と名前も知らない方がむしろ心地が良いみたいな。

戸谷さん)そうです。硬直したバウンダリーですよね。で、(コミュニティを運営する人は)その硬直したバウンダリーに悩んでいるんですよ。そうすると今度は、一つになりたいと思っちゃう。あなたと私は一つみたいな。けど、それは恋愛中毒みたいなもので、健全な関係とは言えない。

<シェアハウスとは、Noを受け入れる・受け入れてもらう練習の場>
福澤)コメントにあります「不完全さを愛する」と言うことは、つまりどう言うことだと思いますか?

戸谷さん)そんな難しい話ではなく、子どもがまさにそうだと思うんですよね。子どもって未熟だけど、未熟なところが本当に良い。どうしても育っていこうとしてしまうんですけどね。あり方を高めたいとか。そう言うことでもなくて。例えば、子どもの3歳って可愛いんですけど、ずっと3歳でいて欲しいと思うけど、勝手に育ってしまう。植物もそうだと思うんですよね。葉の苗も美しいし、育った実も美しいからね。そんな感じ。未熟さを愛せれば、この世界をそのまま愛することができる。

山中さん)シェアハウスって許し許される練習の場、大事にされる練習の場でもあると思っています。育ってきた家庭によっては怒られすぎて恐怖があって、許してもらえないとか体験がトラウマになっていたり、家庭が不健全な場だった人もいますよね。そういう人にとっては、このシェアハウスが新たな世界だったりするんですよね。

風邪をひいたりしたときに、ドアノブにポカリがかかっている。人に心配されること、大事にしてもらえる経験。「ごめんね、私はこれが嫌だから、こうしてもらえる?」と伝えられる経験と、「OKわかったよ」ってNoを受け入れてもらう経験。「なんでそんなこと言うの?あなたって酷い」と言われてきた人は、受け入れてもらう経験が癒されることにつながる。だらしなさとか不完全さを許容し合う空間。それがすごく良いんですよね。

またこれも「家族ではないこと」が大事だと思っていて。家族だったら、踏み込んで口出してくるじゃないですか?「何、あんたパンツ脱ぎっぱなしにしてんのよ」とか「お金こんなに使いすぎて」とか「長男なのに何なの?」とか。家族の中でも、「長男」とか「長女」って色をつけて、傷ついている人がいる。

だけど、シェアハウスだと「ここは踏み込んじゃいけないぞ」って言うラインがあって、そのちょうど良い境界線があるんですよね。だから、運営者がフラットで愛を持って接せれば、そこまでトラブルは起こらない。中立中庸を心がけることが大切だと思います。

家庭で持ってきたトラウマ、認知の歪み、Noと言ったら叩かれると言う経験を、Noと言っても許されると言うこの生活で癒されるんですよね。違っても良いんだよとか。人は誰でも愛されたいし、愛したいという欲求があるんですよね。シェアハウスの良いところってそこだなと思います。

戸谷さん)そうなんですよね。こう言うレベルでの「ありのまま」。Noを受け入れると言うかね。だらしないのならば、だらしなくても良い。「ありのままではいけない」と言うのは、ありのままでいたら良くないと思っているからですけど、それを受け入れあってこそ初めて多様性が生まれるんですよね。トマトはトマトでしかないし、キュウリはキュウリでしかないけど、それぞれが素敵な野菜。その辺りは、子どもが一番教えてくれると思いますよ。

福澤)確かに子どもから、「ママ、いや!」とか言われても傷つかないけど、大人同士で「これが嫌」って言われると、純粋に受け入れられるかなと言うと、難しいですよね。

戸谷さん)そうなんだよね!あれが不思議なんだよね。子どもがさ「お父さん嫌い」って言ってもさ、「はぁ〜〜。。。いつから嫌いだったの?本音では嫌いだったってことなの?」とかならないじゃん。けど、大人に「嫌い」って言われてしまうと、「え、嫌いなの・・?」「そうだったの?」ってなるんだよね。不思議だよね。

福澤)子どもは「ママ、いや!」とか言ってきても、根本的には自分を愛してくれているという確信があるから傷つかないのかもしれないです。大人同士は愛情表現がそこまでないですし、だからこそ、実は自分のありのままを受け入れてくれているんだという愛に気づくことができれば、Noは受け入れられやすいのかもしれません。

<Noをルールで保証する>
山中さん)過去の話ですが、住人の人から他の住人の愚痴のメールが来るようになって。最終的には私の人格否定。保健師さんに相談したら「パーソナリティ障害の疑いもあります。脅迫的な言動があったら警察に行ってください」と淡々と言われた。それで、私は普段は大家としての権力行使は出さないでゆるゆるしているのですが、そのコミュニティにとって良くないなと判断した場合だけは、”退去をお願いする場合がある”と契約書等で強めに明文化しました。

戸谷さん)世の中的には、「権利」を持たせることで安心と言う風潮があるじゃないですか。住人には絶対住み続けることができるとか、安心の権利。でも僕らが目指そうとしているのは「みんな」に権利がある場を作るのではなくて、誰のものでもない本来の場に戻していこうとすること。そうすると、契約書がこうなっていくんですよね。

福澤)権力でNOを言うのではなく、契約書で言わせると言う意味ですか?

山中さん)私は、ルールには3つ意味があると思っています。一つは、規律としてのルール。「暴走を防ぐ」と言う最終ラインを定めておくこと。二つ目は事業者を守るためのルール。私の場合同居なので頻繁に会ってしまうし逃れられなくて。自分自身が長く続けるために必要です。三つ目は、入居者を守るための逃げ道となるルール。過去の入居者で「帰りが21:00以降になる場合、お互い子どもを預け合わない?」と声をかけた入居者がいて、相手がOKの返事をしてしまったのですが、実際は快く思っていなくて数ヶ月後に爆発しちゃったんですよね。そう言う人に、「21:00以降はやめましょう」と言うルールが先にあれば、断る言い訳を作ってあげられる。できれば誰もが心理的安全性が持てることが大事です。ルールは逃げ道としての役割で人の心を守ることがあると思います。

アインシュタインの「問題を作り出した時の意識レベルでは解決できない」という言葉を意識することがあります。夜中に長文でグチや怒りのメールが着ても、すぐに同じように長文で返したりしない。同じ波動で返さない。保健師さんに相談すると「できる、できない」を淡々と返してくださいと言われて。だから、私、結構ドライで寄り添っているようで、寄り添っていない。そこは、戸谷さんと違うなって思う時があります。

戸谷さん)ははは。そうですか。私の方の話をすると、さっき話したような気づきがあって、だんだんと、感情的な共感から離れて認知的共感を重視できるようになっていったんですよ。そうなると、物事をAと見ることもできるし、Bと見ることもできるというようなことが、日常の中で冷静にできるようになっていった。そうすると、じゃぁ、AさんはAっていうものの見方をしていて、BさんはBっていうものの見方をしていて、自分はどういうものの見方を選択して世界に関われば、願う世界が表現されていくのかな、とか。

そういう風に自分のものの見方を意識的に選択できるようになっていったんですよね。そうなると、僕も、「自分が冷たいんじゃないかな」と悩んだりしたこともあって。もしくは「人をコントロールしてるんじゃないか」とかね。

それって、実はどんな人も生きていれば人に影響を与えざるをえないんだけど、その影響の与え方を意図的に選択できるようになってしまったことで、そう思えてしまったというだけのことなんだけれども、一時期悩みましたね。それで、その時改めて思い至ったのが、さっき言っていた「ありのまま」「認知的共感」と同じくらい大事な3つ目の在り方の要素が、本当の自分の本心に「耳を澄ます」と言うことなんですよね。「場がどうありたがっているのか?」「自分の中の本当の願い」、僕の場合はクリスチャンなのでこの本当の願いを「愛」と表現することもあるけれど、その「愛」を感じて耳をすますと言うこと。

■愛が溢れてくるから、続けていける
戸谷さん)僕は、とは言え、ステレオタイプとしての「福祉」っていう文脈でやっていないんでね。福祉でやっていないものが結果自然に福祉にもなったらよいだろうけれど。例えば、住人受け入れについては、お互い一緒に住みたいなと無理なく思える人に来てもらっているような感覚。けど、昔だったら一緒に住むのは難しいと感じていた人だろうけど、今だったら、1人いてもらったらハウスの多様さが増してすごく良い状態になるから来て欲しいって感じるようになることが自然に起こってくる。

先ほど話に出てきた、人のせいにしてよく怒る人も、もしかしたら一緒に暮らすうちに、変わってくるかもしれないんですよね。それで、そういう人が変容するところって、すごいエネルギーができるので、ハウス自体が良い状態になったりしてね。

そうすると、一緒に暮らせるかどうかギリギリの人が面白かったりするので、確かに、自分たちのハウスも実際、入院した人が出たり、警察も3回来ていますし、僕自身も急性ストレスになってしまって、体調を崩したこともあります。

福澤)そうなんですね。けど、それだけ大変なのに、どうしてこの生活を続けられるのでしょうか?

戸谷さん)それは、繰り返しになるけれど、もし面倒なことが起きたとしても、一緒に楽しく暮らせそうな心から尊敬できる人たちが光栄にもハウスに来てくれた結果、楽しいこと、嬉しいことと同時に起こってきた大変さだからです。

だからこそ、そういうことはあまり言わないようにしていますね。楽しいからやらせてもらっていることで、ハウスメイトとは尊敬しあうひとりの人間同士でいたいのに、上から目線になってしまう感じがして。

山中さん)私も楽しいからやっている。私は10年20年この事業をやっていくことを決めているんですけど、一緒に住んでいるからこそ、いろいろ見えてラッキーだなぁと思うんですよね。みんなと一緒に暮らすことで、自分が成長できるし、喜びもすごくたくさんある。素晴らしい瞬間に立ち会えることが本当に嬉しい。私は子どももいないし、子どもを作る気もないですけど、子どもの成長っていう素晴らしい瞬間に立ち会わせてもらっているなって。

戸谷さん)僕は加えて、シェアハウスって家族ほど濃密じゃないところから始まるからこそ、関係性の練習ができると思うんだよね。そうすると、実際の自分の家族の関係性にも効いてくるんですよね。家族でもコミュニケーションなんでね。

山中さん)結局、「許しと愛と感謝」だぞって思うんですよ。繰り返しになりますが、人を許す練習の場がシェアハウス。色々な境遇の方と出会いますが、虐待されてきた親を超えて「あなたには価値がある」って、伝えたい。「あなたは神様がつくり出した素晴らしい作品なんだよ」ってことを。だから、どんな言葉も「ありがとう」から始めたいとか、戸谷さんのいう「耳を澄ませる」ということも、相手が大切にすることを大切にするということかなって。人の価値は愛と優しさだと思うんです。

戸谷さんのところは、お金も贈り合うじゃないですか、それってすごいですよね。それに、お金がなくてもスキルを贈り合う。それってすごく素敵なことだと思う。

私は尊敬する人に、「”目の前の人に愛があるということ”を信じることですよね」と言ったら、信じるんじゃないです、むしろ信じるなんて次元が低いと言われた。ただそこにあるんだと。太陽は雨でも雪でもそこにあるじゃないですか、それくらい、愛があるのが当然だと感じること。それが生育環境で歪んでしまって、今すごく怒っていたりしても、元々は愛があるんだと。戸谷さんともよく「性善説」の話をしますけど、戸谷さんのいう、相手の「在る」や「愛を感じる」というのはそういう話なのかなと。

一時期「救いがない」と思って、絶望していたときがあります。虐待を無くしたいし家族関係の歪みの根本解決をしたいのに、問題が根深すぎるんですよね。回復した人を見てみると、お金や時間をかけてやっと回復していて、もっとシンプルな解決先はないの?って思ってしまって。

けどその先に、気づいたのは、「万人は救えない」し「Noも言う」。けど「愛と許しと感謝」が循環する環境づくりをしていこうと。私はただそうやって存在しているだけ。そんな私の在り方や自然に出る言葉によって、「助けられた」と言う人も出てくる。もちろん、何も感じないし、怒り出す人もいるけど。ただ、それでも良いと思っていて、コントロールもしない。

私は元々ギャルで愛なんて知らないってひねくれていたんですよね。心のコップも空っぽだった。けど、今どうしてこんなに愛が溢れるようになったかと言うと、クラウドファンディングなどでみんなに応援しているよと声をかけてもらって、私のコップは濁流のように溢れてしまった。30万円くらいポンとお金を入れてくれる人がいて、前は申し訳ないと思っていたけど、今は、このいただいた愛で子どもたちやお母さんたちにもっと何か贈りたいと自然に思うようになったんですよね。

戸谷さん)うん、うん。まだまだ話していないネタはたくさんあるけれど、真奈さんと語り合ってきたことで、まとまってきましたね。自分の在り方が大事。7年前から一緒に住んでいるハウスの住人から、「戸谷さんは前は助けようがあったけど、今は変わったよね」と言われる。何もしなくても在るだけで良いんだと気づいたんですよね。真奈さんや私自身の思想って、「生きていることに価値がある」ので「何かすること」ではない。ただ生きているだけで、あなたには価値があるということ。在り方って「こういう風に考えたら良いんだな」とも違う。伝えるのが難しいのですが、こうでしかないんですよ。例えば「どんな人にも愛があるんだって無理に人のことよく思おうとする」ことではないし、ポジティブシンキングとかでもない。

自分としてはね、あれもやってあげている、これもやってあげているって考えるでしょう。けど、自分で気がついていなかっただけで、その時にも、誰かに支えられているんです。それに、気づいていくと、あふれていくんですよね。「これが、真実だったんだな」と気がついていくことで変容していくのが在り方。この在り方が運営に大切なことだった。紆余曲折、苦労してたどり着いた二人の答えが、「在り方」だったということなのかな。

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参加者からの感想(抜粋)
・登壇者の皆さん、各地で実践されている皆さんが楽しそうだったこと。人への視線の向け方に共感できたこと。「バウンダリー」という概念や ‘在る’を見る心や アインシュタインの相手の同じ波動でやり返さないなど、気づきがありました。
・愛の元に俯瞰する。皆さんが利益だけじゃないから、愛に溢れた、シェアハウスを運営されていること

・たくさん共感しました!シェアハウスお悩み相談会やりたいなぁと思いました。

・トラブルが起きることを想定したルールの記載方法

・また是非参加したいです。まだ小さな居場所をスタートしただけですが、お年寄りも子供たちも地域の人も寄り添える居場所をいつかシェアハウスを、立ち上げたいと思っています。今はディサービスの勤務と何もありませんが 継続してみなさんのお話を聞かせてもらえたら嬉しいです☺︎

主催・福澤から
今回は、多世代型シェアハウスで運営者として沢山の苦労を乗り越えてこられたお二人の、非常に貴重なお話をお伺いしました。

その中で、最終的には、シェアハウスの運営において重要なことは、運営者自身がありのままでいる在り方であることが伺えました。ただ、外と内が分断された現在社会では、家族以外にありのままの自分を見せることはほとんどなくなりました。ありのままでいること自体に慣れておらず、否定されるのではないかと現代社会を生きる私たちは恐れを感じてしまいますよね。そのため、ありのままを見せて「それは嫌」と言われたとしても、根本的には相手や場は自分を愛してくれるという相手の愛を感じることが重要なのだと思います。

相手の愛を感じて、愛を与える在り方というのは、実際に運営者として実践されてきたからこそ辿りつたいた貴重な叡智だと思いましたし、近年、減少傾向の地域コミュニティというものは、その在り方を自然と身に付けてくれる場所だったのかもしれません。

改めてシェアハウスの価値を感じた勉強会となりました。戸谷さん、山中さん、参加者のみなさん、本当にありがとうございました!

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