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大井町コミュニティキャンパスプロジェクトは、8月6日(木)20時から、「45歳からの起業研究会」の第2回をオンラインで開催しました。本研究会は、中高年会社員の起業を支援することを目的に、慶應義塾大学SFC研究所上席所員の河野純子が主宰しています。第1回の研究会で参加者から寄せられた「起業を実現したロールモデルの話を聞く機会がほしい」との声を反映し、今回より毎回1人の起業家をゲストに招き、起業プロセスを学びつつ、参加者同士が情報交換を行う形で運営していきます。

今回のゲストは、47歳で会社員を辞め、長野県松本市に移住をし、複数の事業を立ち上げた瀬畑一茂さん(49歳)です。40代の会社員を中心に約20名の方にご参加いただき、「地方移住をかなえる起業術」について考えました。以下、そのレポートです。

<開催概要>
20:00~20:15 「45歳からの起業研究会」概要
まず、主宰者の河野純子より、本研究会の位置づけについてレクチャーしました。

(1)本研究会の目的
・本研究会の目的は、中高年会社員のセカンドキャリアとしての「起業」の支援策を検討することである。
・長寿化が進む中、定年のない働き方として「起業」は魅力があるが、長年、会社にキャリア形成を依存してきた中高年会社員が、どうすれば「起業」という自律的な働き方に転換できるのか。そのプロセスを明らかにし、必要な支援策を開発する。
・当事者である中高年会社員の方に参加いただきながら、実践知を積み上げていく。

(2)着目する起業タイプ
・中高年の起業は安定志向が特徴で、主流は「既存スキル活用型」だが、本研究では「新スキル習得型」に着目する。なぜならば、これまで特別なスキル・経験を積んでこなかった大手企業・ゼネラリストタイプの中高年にも実現可能な起業タイプだからである。

(3)これまでの研究成果
・「新スキル習得型」の起業を実現した9人へのライフストーリーインタビューデータをもとにM-GTA分析を行った結果、明らかになった『中高年会社員の起業プロセス』は以下の通り。

・このプロセスの中で、「起業テーマを探る」というプロセスが最も困難であることを示した。なぜならば、それは「後半人生のテーマ」を探るプロセスであり、組織人から個人へと変容するプロセスでもあるからだ。多くの人が半年から数年をかけてテーマを探す。その際の方法と視点は以下の通りである。


・また「学ぶ」というプロセスを経て、失敗の恐怖や課題を乗り越えていくことを示した。

(4)支援策検討の方向性
これまでの研究成果および、第1回の研究会での意見を踏まえ、支援策の方向性として、以下の3点を示した。
①ロールモデルとの出会いの場づくり
②仲間との情報交換の場づくり(越境学習の場)
③テーマ探しの支援(①②を通じて)

20:15~21:00 ゲストトーク
今回のゲスト、瀬畑一茂さんをお招きして、起業プロセスについてお話を伺いました。以下、その概要です(敬称略)。、

河野 瀬畑さんは会社を辞めて東京から松本にIターンして2年ですが、まず自己紹介を兼ねて、現在のお仕事内容をお聞かせください。

瀬畑 最初に始めたのが、安曇野市の産業支援アドバイザーの仕事です。そこから複数の自治体のアドバイザーを務めるようになり、そこで見えてきた課題を解決するために人材紹介や地元産品の販売を行う会社、経営顧問を行う会社を立ち上げました。また革職人として、革ブランドも展開しています。

河野 長年、外資系企業で経営に携わっていらっしゃいましたので、これまでの経営経験を生かした「既存スキル活用型」の仕事と、人材紹介や地元産品の販売、革ブランドなど「新スキル習得型」の事業との組み合わせですね。ではそこに至ったプロセスを伺っていきます。まず松本との出会いからお聞かせください。

瀬畑 東京育ちの私は田舎に憧れがあり、特に小学校のときに家族旅行で登った御嶽山の雄大さがずっと心に残っていました。そこで大学は信州大学を選び、それ以来、松本が私の心の故郷になりました。

河野 ただ就職の際は信州に残ることは考えず、ドイツ系の化学メーカーに就職されました。どんな会社員時代だったのでしょうか。

瀬畑 国内営業、ドイツ本社勤務、アジア地域本社(香港)勤務などを経て、最後は日本法人の副社長執行役員を10年務めました。とにかく常にアドレナリンが出ているような、モーレツな働き方でした。幼いころから「男らしく強くなければいけない」といった強迫観念のようなものがあり、常に成果にこだわり、眠りも浅く、健康診断では異常値がでていました。転機は45歳のときです。噛みしめていた奥歯がバキッと折れて、このままでは持たないとようやく気付きました。

河野 その出来事が会社を辞めて、松本に移住しようという決断につながったのですね。具体的なタイミングについてはどのように決めましたか?

瀬畑 当時の副社長というポジションは、1年ごとの更新だったので、10回目の更新を迎える2年後を節目と考えました。ちょうど娘も20歳になるので、良い区切りだと思いました。

河野 仕事はどうしようと考えましたか?起業したいという想いはありましたか?

瀬畑 とにかく疲れていたので、会社を辞めて心の故郷である松本に移住したいという気持ちが強かったですね。移住して何もしないわけにはいかないだろうとは思っていましたが、何から始めていいかわからず、とりあえずINDEEDで検索してみたら、安曇野市の産業支援アドバイザーの募集があったので、これだと思って応募しました。

河野 当初から何か事業を起こしたいと思っていたわけではなかったのですね。

瀬畑 そうです。父親も会社員で、身近に起業家のロールモデルもいませんでした。とにかく民間企業で会社の利益のために働くのはもういいと思い、何か地域に貢献できる公的な仕事をしたいと思っていました。そのため安曇野市の募集はうってつけでした。

河野 収入面での不安はなかったでしょうか?

瀬畑 収入は会社員時代の1/12になったので、2年間は前年の収入で金額が決まる住民税の支払いが大変でした。しかし、日々の生活は「この収入でも大丈夫だ」と思えました。会社員時代は、必死で働いたご褒美の意味もあり、洋服や靴、カバンなど値段が張るものを買っていました。でも仕事を変わってみると、それらの出費が必要のないものでることがわかってきました。

河野 では2年後に2つの会社を立ち上げたんはなぜでしょうか。

瀬畑 実際に自治体のアドバイザーとしての活動を始めてみると、経営者の方の人材の悩みや、農家の方の販売ルートの悩みなど、地域の困りごとが見えてきました。また私自身の気力と体力も回復してきて、さまざまな困りごとを解決していくには、自分で事業を起こした方が早いと考えるようになりました。それが経営顧問の会社と、人材紹介・地元産品の販売会社の設立につながっていきました。

河野 革ブランドの展開もユニークですね。

瀬畑 革との出会いは、45歳ごろです。自分には趣味がないと悩み、そういえば小さいころ、プラモデルなどモノを作るのが好きだったことを思い出しました。親から「男の子は外で遊びなさい」と育てられたので、モノづくりに取り組むことはありませんでしたが、会社員になってから革製品にはこだわっていました。そこでクラフトショップで習い始めて、はまったんですね。疲れて帰ってきて、眠りも浅かったので、夜中、無心で作っていました。やがて人にプレゼントしたり、作ってほしいと頼まれたりして、今ではビジネスとして成り立つまでになりました。

河野 小さいころから好きだったことを思い出し、コツコツとスキルを学んで、好きなことで起業するというパターンですね。革職人だけでは収入的に難しいかもしれませんが、いくつかの事業の中の1つであれば、仕事として続けていけそうですね。現在、さまざまな仕事をされていますが、ポートフォリオはどのようになっていますか?

瀬畑 収入的には、経営顧問の仕事が一番大きいですね。ただ会社員時代からコンサルタントという人はあまり好きではなくて(笑)。たいてい、そんなことはわかっている、こちらにはできない事情があるんだというようなことを言われてきましたからね。なので今後は経営顧問の仕事の比率は徐々に下げていきたいと思っています。

河野 移住後、ご夫婦の関係もずいぶん、変わったそうですね。

瀬畑 移住について妻と話した際に、妻も「妻や母親としての自負はあるけれど、自分は何者なのか」と悶々としていたことがわかり、これからは「独立した個」として生きていくことを考えようと話しました。妻もこちらで仕事をはじめ、これまで一切、家事をしてこなかった私も、今は毎日、料理をしています。どうやら私には料理のセンスがあるようなんです(笑)。

河野 自分らしい人生を楽しんでいらっしゃいますね。

瀬畑 心の故郷である文化的な松本の地で、健康も取り戻し、自由にやりたいことを広げてきました。まさに自分が主人公の人生を取り戻すことができたような気がしています。

河野  ありがとうございました。

<瀬畑さんの起業プロセスのポイント>
・Iターンエリアでいきなり起業を目指さず、地域のニーズを把握し、人脈づくりにつながる活動からスタートした(広義の「学び」の時間をもった)。
・既存スキル活用型と、新スキル習得型の2つのタイプの起業を組み合せ、複業スタイルで一定の事業規模を作っている。

21:05~21:20 Q&Aタイム
5分間の休憩のあとは、チャットに寄せられた質問に、瀬畑さんにお答えいただきました。以下、主なやりとりです。

Q 移住されたとき、20歳になったお子さんは、東京に残られたのでしょうか。
A 娘は海外に留学していました。そういう意味で私たちは動きやすかったですね。

Q 安曇野市の産業支援コーディネーターに応募されたとき、自分にできるか不安はなかったでしょうか。
A それはなかったですね。とにかく運命を感じて応募しました。地方は本当に人材に困っており、東京での経験はさまざまな形で活きますから、やりたいと思ったら応募してみることが大事だと思います。

21:20~22:00 グループディスカッション
ここからは、2グループにわかれてのグループディスカッションを行いました。「越境学習」の場として、さまざまな意見交換を行っていただきました。

22:00 閉会

<参加者アンケート>
Q 研究会に参加されて、どのような学びがありましたか?
・やはり、定年後(退職後)の起業を成功させるには、現役時代の頑張りが必要不可欠かと思い至りました。身体を壊すまでとはいかないまでも、精一杯いま目の前にある仕事に取り組むことがその後につながるかと。
・行動に移す気力が必要。
・やりたいことはサイドビジネスとしてスタートしたほうがいいということ。
・冒頭のレクチャーにあった起業プロセスや分類が、まさにその通り!と思い、自分は何を志向したり迷ったりしているのか、よく分かりました。(拡大志向か安定志向か、既存スキルだけではワクワクしないなど)。
・懇親会も含めてですが、日頃の生活では似たもの同士としかコミュニケーションが取れません。このような場は、考え方、価値観、生き方の違う方々と知り合えることがでます。
・会社員から地方での起業の話がじっくりきけたこと。
・瀬畑さんのお話は、大変有意義で参考になった一方で、ご本人の能力が高いので、挫折失敗の部分がなく、皆んなが皆んな、こんなに上手くはいかないのでは…とも思いました。

Q あなたは「45歳からの起業」を支援するために、どのようなことが有益だと思われますか?本研究会への期待や取り組みの方向性に関して、ご意見をお聞かせください。
・定期的な情報交換、成功体験、失敗体験などから自分なりに学びを深めること。そして可能であれば、ビジネスアイデアに対してほかの参加者さんから意見やアイデアを頂くような機会があれば、より起業の具体性が増してくると思います。もしかしから、起業が向かないということに気づくかもしれないですし。
・世の中の困りごとや、有れば助かるモノの情報
・具体的な事業計画書の作成ポイントとか、創業補助金などの制度のアドバイスなどもらえたらうれしいです。
・迷いのプロセスの時に、とるのがオススメのアクション、他の方の判断基準(複数)などがわかると次に進みやすいように思います。実行となってからのノウハウ部分は世にあるので、前段を支える、サポートする、後は不安を口にできる場などがあると良いかなと思いました。
・様々なケーススタディがあると良いと思いました。昨日は、田舎での起業にハードルの高さを感じました。また、学びによる恐怖の減少も具体例があるとイメージがしやすいと思いました。
・女性起業家、それも最初から資金が潤沢にあったとかではなく、地道に活動され、軌道に乗せてきた方のお話には興味あります。
・45歳以上で社会起業家になった人の話が聞けたらうれしいです。
・テーマ探しから起業へのプロセスを何パターンか見てみたいです。最初はこっちで始めたけれど変わった方など。あとは、大きくなくても良いので多少レバレッジが聞くビジネスをされている方。1人起業だと工数が制約になるので、そこを乗り越えた方がいればお話聞いてみたいです。ありがとうございました!!

以上です。いただいたご意見をふまえて、今後も「45歳からの起業研究会」を続けていきます。今後ともご参加をよろしくお願いいたします。

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